昨日の自分と少し違う自分になる

今日は夫に寝かしつけをお願いして、ためていた家事を22時から開始。

洗濯機を回し始めても、なんとなく次の家事にうつれず、洗濯乾燥機にもたれかかってiPhoneをぽちぽち。してたんだけど、なんだかたまらない気持ちになって、つまり昂ぶって、いてもたってもいられない。今すぐ、今すぐに!と急いで、とりあえずパジャマのズボンをジーパンに変えて、適当なパーカを羽織って、ランニングシューズを履いて、マンションの階段を駆け降りた。そんで走った。

昨日の自分と少し違う自分に

ニール・ヤングの『仕事は楽しいかね』にあったと思う。

昨日の自分と少し違う自分になってみなさいと。だから走ってみた。走ってる間に考えたことは

  • 痩せたい
  • 過去一番痩せてたのは大学1年の頃だったな
  • 浪人当時の彼女にデブと言われたことでダイエットを開始
  • 開始3ヶ月で12kg痩せた
  • 今まで買えなかったデニムが買えるようになった
  • 友人から「華奢」と、それまで言われたことのない単語を言われて心踊った
  • BMI22.8から18.9へ(これで身長がバレる)
  • 炭水化物をとらずに、野菜サラダとコンビニおでん、鶏ささみだけ食べた
  • 昼間は予備校で9時から21時まで勉強
  • 帰宅してからはビリーズブートキャンプしてたな
  • ビリーの掛け声に合わせてめちゃ声出しながら筋トレするのにハマってた
  • 痩せると周りの扱いが変わることが少しわかったな
  • なんで大学2年からリバウンドしちゃったんだろう
  • 痩せてることに意味がなくなったからかなぁ…
  • そんで元通り
  • 今は更にプラス5kg
  • やせてぇなぁ…ボトムスの試着で無駄に勇気を使いたくないな
  • 試着室の外から「お客様いかがですか?」と声かけられた時に何度戦慄したことか
  • はいりませんでした、とは言えない
  • わかるよね?外から見たらわたしの腰回りだいたいわかるよね?
  • えっ、お客様の体型なら全然はけますよー!とか言った店員さんのお世辞に乗ったわたしが恨めしい
  • そんな経験はもうしたくない
  • あと単純に太ってるのが似合わない顔してる…デブでも痩せでも顔とか好きな服に合ってればいいんだ
  • はて、家が近づいてきた
  • 足が重い
  • 星綺麗だな
  • 小学生の頃、親が流星群を見に里山に連れてってくれたな
  • あったかくて甘いミルクティを水筒に入れてくれて
  • 明かりの少ない田舎まで車を走らせて、道の駅みたいなところでシートひろげてさ
  • なにこれなつかしい、ブログに書こうっと(忘れないうちに書く)
  • しんどい…
  • でも歩くのはやだ
  • もうすぐ家だ

で、到着。時間は22分。あとで測ったら距離は2.6kmだった。1kmくらいかと思ってたけど案外走ってたみたい。

中高と陸上部だったけど走るのはあまり好きじゃない。だから、案外走れた自分に驚いた。

昨日の自分と違う自分に、なってる!

走る前のわくわく感、走り終えてシャワーを浴びた気持ち良さ、更に缶チューハイまで呑んで最高の気持ちである。

20分あればこんなに気持ちよく走れるんだ。これがわかったことで、また少し違う自分になっていくような気がする。

追記

更にいうと、走り終えた後にもまたブログに書きたい出来事が!前に進むと勝手に何かが動いて行くような感覚だ。

ちなみにアイキャッチの画像は、少し違う髪型になったわたしだ。

わたしは「生き物派」

わたしが3歳の頃、家に黒のラブラドールの子犬が来た。家族の中で下っ端扱いされて、よく甘噛みされたから怖かった。サラ、という名前の女の子。

父の犬だったので、父と別居して母と二人で暮らし始めた4、5歳の頃からは、あまり会えなかった。両親は別居しつつも週に一度同居する単身赴任スタイル?をとっていたので、父が半年に一度くらいサラをうちに連れて来たときだけ会えた。

幼い頃にはサラが怖かったけれど、小学生になる前後からサラが好きになった。生き物自体、全般的に好きになった。父が毎週帰ってくる度に動物の本を買って来たからだと思う。

サラは賢い犬だった。父はサラを正しくしつけていたように思う。必要以上にベタベタしない。しっかりと上下関係を作り、座る位置や触り方にも馴れ馴れしさがない代わりに、信頼していた。父は犬をとても大事にしていた。

ときたま会えるサラの隣で、真っ黒な体をスケッチしたり、近くで寝転んで本を読んだりした。

久しぶりに会えて嬉しかった夜。父とサラが彼らの家に帰ると、母は途端に粘着テープで絨毯についた黒い毛を取り始めた。家が汚れた!と怒っているように見えて、それがとても悲しかった。

サラは歳をとった。けれど、大型犬にしては、老犬になってもツヤツヤしていた。

わたしが二十歳の頃に両親が熟年離婚をした。それから一年経たずに、サラは死んだ。17歳だった。

サラが歳をとってもツヤツヤしていたのは、父が食事にこだわっていたからだったそうだ。サラが死んでからの方が、父とサラについてよく話したように思う。

サラが死んだ後、大学生の頃に道端で子猫を見つけた。本当に子猫。手のひらに乗るレベル。短いしっぽがピンと立っていて、痩せていて目やにだらけでヨタヨタしてた。気付いたらTシャツにくっつけて一人暮らしの家に連れ帰ってた。

さて、どうしよう?と思ったけれど、インターネットで調べたらなんでも分かる時代で助かった。歯が生えてたから柔らかめの猫ご飯を買って与えた。

「うりぼぅ」と名付けた。お腹が瓜坊みたいな斑点模様をしていた。

赤ちゃんじゃなくなって、斑点は消えたけれど、うりぼぅと呼んだ。キレイな、というか愛らしい三毛猫に育った。寂しがりのわたしとうりぼぅの二人暮らし。

社会人になって、熊本から埼玉へ連れてきた。穏やかに共に暮らした。

当時の恋人と別れたり、新しい恋人ができたり、それらを隣で見ていたうりぼぅ。

埼玉へ連れてきて一年後、土日に泊まりで旅行に行って帰宅すると、猫タワーのてっぺんで冷たくなっていた。既往症もなかったので、心臓発作じゃないかと葬儀屋に言われた。

気軽に旅行になぞ行かなければ良かった、と悔やんだ。うりぼぅは病院が嫌いだったけれど、動物病院のホテルに預けていれば結果は違ったのでは?とも。

仕事を休んで一日、途切れ途切れに泣いた。燃やさねばならない、と業者に電話した。恋人も火葬場に付いてきた。ひとしきり泣いて火葬に出した。骨になって出てきたうりぼぅは小さくて驚いた。

骨壷は家にある。鰹節を添えて置いてある。

うりぼぅが居なくなって、あんなに悲しかったのにまた猫を飼いたくなった。猫は死ぬときに人の心に猫型の穴を開けて去る、とTwitterに書いてあったけど本当だ。あの穴は人間では埋まらない。恋人とは夫婦になった。けれど、どうしたってまた、あのあたたかい毛玉を抱きたくなってしまう。

ふと、いつもは通らない駅を通ったらば、猫の里親募集に出くわした。その中の10匹ほどのうち2匹が今、膝の上にいる。

鉢割れの男の子と、茶トラの女の子。次に猫を迎えるなら2匹で、と決めていた。目論見通り、2匹は毎日一緒に寝て、じゃれあってケンカして、仲良しだ。誰かとくっついて共に生きることの幸せを、わたしに教え続けてる。

犬派の頃は、猫は眼中になかった。今はもう、犬だろうが猫だろうがウーパールーパーだろうが、生きている奴らが家にいることが嬉しい。「生き物派」だ。

わたしは人間で、人間の子を生んだけれど、子どものこともまた、生き物だと思ってる。だから、観察の対象としての彼らが急にわたしに笑いかけてくると、ときどき驚いてしまう。そしてやっぱり、犬も猫も人間も、かわいいなぁと思う。

追記

ちなみに、今読んでいるバッタの本も生き物への愛に満ちていて、読むだけでうきうきする。

『バッタを倒しにアフリカへ』

【コーチング】本音がどわっと

なんだかやりたいことをやれてない…と思ってました。それをコーチングで話してみたんです。そしたらば、わたしの心にあるモヤモヤの実態は、全然違ったんです。こりゃたまげた。

追記!

わたしがお世話になっているのは「さいんぽすと」のいっちーさんです。

コーチングで話したら

自分のやりたいことがやれてなくって…から始まったのですが、質問される度に気持ちが右往左往。行き着いたのは「子どもを早く寝かせなくてはという一般論と、急かしたくない自分」で揺れ動いている、という気持ちだったのですが。「なぜ子どもを早く寝させたいか」と問われて、「自分のせいで子どもの背が伸びなくなったらどうしよう」という気持ちも出てきました。何度かやり取りして「背が伸びない、ということにとてもこだわりがあるみたいですね」と言われると、ううっと苦しくなったんです。

水面下の本音が出てきた

このとき、わーーーっと本音が表に出てきました。「子どもの背を伸ばしたい」というわたしの願望には「体型や見た目を親戚の男性たちに揶揄された」自分の経験によるものでした。初めてコーチングで涙が出ました。

わたしの親戚一家はわたしをとても可愛がってくれたものの、見た目をどうこう言うことを愛情表現だと思っている人もいたようです。

わたしは小さい頃から女の子らしくすることがイヤで男の子のようにふるまっていたのですが、制服で仕方なくスカートをはけば「大根足!」「似合わん~」。ちょっとアクセサリーをつければ「うわっ、そんなんつけるようになったんね~」。明らかにバカにしているのがわかるけど、一度笑って対応してしまうと「やめて」と言えなくなりました。だって、実際に太っているし顔が可愛いわけでもないし…言われても仕方ないという理由を並べていました。

一番ショックだったのは、自分の結婚式。高砂に座っていると親戚夫婦が来て、男性がわたしに「全然ドレスが似合ってない!」と。本当に本当に本当にショックでした。幸せな思い出の端っこに真っ黒なカビが生えた気分でした。結婚式から時間が経つにつれ、更にカビは広がりました。今でも全く許せないし思い出すと涙が出ます。

こんな親戚関係が嫌だというのも実家を離れた1つの理由でした。

わたしの子どもたちも親戚から見た目を揶揄されるのではないか?と、不安で「子どもの背が伸びる→多少体重があってもデブには見えない→バカにされない」という式が成り立ってしまったようです。だからつまり、本当に自分がしたいことは子どもを早く寝させることでなくて、子どもが揶揄されないように親戚からガードすることなんだーーー!と思いました。そこまで一気に話すとコーチは「でも、これ想像なんですが…」と前置きがあって「時間が経ったら、やっぱり子どもたちを早く寝させなくちゃ、と思う気がしませんか?」と。

確かに。

そうだ、多分自分はそう思う。だって早く寝てくれたらわたしの自由時間が増えるし、やっぱり伸ばせる背があるなら伸ばしときたい。睡眠時間をたくさんとるほうがよいのは一般論だが事実だろう。

わたしは調子に乗りやすいので一人で「親戚から子どもを守るぜ!」の道に突き進みそうでしたが「早く寝させる」にフォーカスし直し。そこでどうすれば早寝させられるか案出ししました。

子どもが早く寝るために「実験と観察」をすることにしたので、それを実践中。楽しいし、実験だ!と思えば失敗してもあまり気になりません。

右往左往しながら、どうしたらもっとHAPPYになれるか考える時間

コーチングは、自分の思考の流れをあっちにやり、こっちにやりと視点を変えながら進んでいきます。この時間のおかげで自分の幸せの大切さを何度も心に刻めているんだと思います。

追記

夫もコーチングを受けてみたいんだとか!興味を持つと思っていなかったのですが

仕事に関連してコーチングで自分のやりたいことを探ったり明確にしたりする過程が知りたいみたい。

早速コーチを夫に紹介したけれど、さて本当に問い合わせるのか…?

夫婦で同じコーチのコーチングを受けるのは面白そうだ。

芸術家でありたい

NHKの『達人達』という番組。撮りためていた録画の中から、草間彌生と松本幸四郎の対談を見た。

草間彌生の言葉の連なり

草間彌生は88歳。毎日絵を描き続けて、早いと一日一枚の絵を描くらしい。

精力的、という言い方よりも「情熱的」が合う人だと感じた。これは、草間彌生の平和への願いや人類愛につながるのかなと思いながら番組を見ていた。

草間彌生の話し方、文章の立て方はとてもクセがあって、そして本心から言葉が練られているようで、好ましかった。芸術は闘いだと。そして「わたしたち」という主語で話すとき、彼女は世界の中に一人の人間として立っていて、世界に愛を叫び続ける人であるように感じた。

絵を描く姿は、確かに闘っているようでもあったけれど、番組で「愛を叫ぶ」という表現をしていたのが、しっくりと来た。

わたしは芸術家でありたい

わたしも絵が好きだ、建物が好きだ、自然の中に生きるのが好きだ、人間が好きだ、言葉が好きだ。これらの力を信じている。

それもまた芸術だろうと思う。

わたしは画家になるわけでなくとも、芸術家でありたい。

追記 金曜日っていい

金曜の夜は気持ちの余裕があって、何をするにも感じ取るものが多い。疲れていたけれど、眠ってしまわずに洗濯をして、テレビをつけてよかった。

【日記】蘇った

絵を描く楽しさが蘇った。

仕事の絵

来週までに仕事で一枚絵を仕上げなくてはならない。

仕事以外で絵を描くことが最近なくて、久しぶりにiPad Proのアプリ『ProCreate』を使った。

題材を決めて絵を描いていく。

が、うまくいかない。なんか違う、その筆の感じや線の伸びる感じ、違う違う…

周りに絵を描く人などいないオフィスで絵を描くのは、少し肩身がせまい。遊んでいると思われたくない、と身がすくむのが正直なところ。

だけど、今日はもうこの「違うんだー!」が気になってしまい、iPad Proを4時間は使ってた。筆の作り方をググって、試して、ちがーう!となりながら、それでも続ける。

合間にちょこちょこと横槍作業は入る。作業アシスタントさんに質問されたり、電話が来たりSkypeのチャットが来たり。島の端っこにいるので道を通行する同僚に話しかけられることも。

それでもどんどん描いた。

結局、うまくはできなかったんだけど。

楽しさが続く

でもこんなに絵が楽しくて、うまくいかなくて歯がゆくて、でも楽しくて。

帰宅して夕飯作ってちびたちに食べさせて、風呂入れて寝かしつけて、ちょっと自分もうたた寝しちゃって、起きて洗濯と食器洗い終えて。

くたくたになっているけれど、それでもiPad Proを開いた。

絵を描いた。

楽しい。楽しい。楽しい。

小学校から高校まで、夜は宿題をしたら絵を描く毎日だった。中学までは見てくれる友達がいて、高校からは一人こっそりと絵を描いた。大学にあがってからは全く絵を描かなくなって。

社会人になって数年、やっぱり絵が描きたいと思った。夫が昨年の誕生日に買ってくれたiPad Proは、どこでも絵が描ける最強の道具だった。

そして今日、十代の頃、ただ楽しくて絵を描いていた頃の自分がひゅっと蘇ってた。

明日はわからないけれど

このうきうきした気持ちが明日もあるかは分からない。けれど今が楽しいから明日も楽しいと思えるほどには、気持ちが高揚している。

追記

自分が使いたいものには、驚くほど技術の進歩を感じるものなんだな。少しアップデートしなかっただけでこんなに新しい機能が??ってくらい色んなことができるようになっていて。世の中にはわたしの知らないところで大量の新機能が生まれているということが、面白い。

嫌われ妄想をやめたい

ちょっと前に考えたことをslackにメモしていたので投稿。

わたしがWDのサポーターであることと、自分の特徴。

サポーターの特性とわたし

サポーターは人の中にいて、人を励まし、奮い立たせる人だそうだ。
この特性にはなんとなく、昔から気付いていた。わたしには人とのつながりが必要だと実体験から思う。ひとりの時間も楽しめるものの、その時間が無限にあると途方に暮れる。というか誰かをすぐいに誘って出かけたり旅行に行ったり、そのひとり時間を使って、人と過ごす時間を作ろうとする。思ったこと、経験したことは誰かに話したいし、すごいでしょ!?って自慢したくなる。それがわたしだ。

人とのつながりに左右されやすい

人とのつながりを特に求める自分は、そのつながりに依存している。依存が強まると、ちょっとした出来事から妄想が始まって心が乱れる。

例えば飲み会やランチで相手に言ってしまった言葉を、激しく後悔することがある。

1「あの言い方はまずかったかも」

2「傷つけた気がする」

3「もう嫌われる~~~」

の三段論法で自分が嫌われる気がして動悸がするのである。そう思うともう仕事は手に付かないし寝る前には後悔の念で頭がいっぱいになるしで、いいことはない。そういうとき、面白いことに相手をそっけなく感じるのだ。嫌われたくないのに、嫌われる自分を演出してしまう。不安でたまらなくなって、今度は自己防衛を始めたり。

「いや、いいんだ。あんな発言で嫌われるくらいならいつか嫌われるさ…」

そうこうしているうちに、その相手にいつもどおり友好的に話しかけられるのである。なんのこともない。嫌われ妄想だったのだと、やっとここで気付く。

あなたはあなたが嫌われるのと同じ理由で、あなたを求めている人に愛される。

ときたま読む心屋さんのブログにあった言葉。

あなたはあなたが嫌われるのと同じ理由で、あなたを求めている人に愛される。

納得した。
わたしは自分の発言を受け入れてくれそうな人に対しては、思うことをストレートに伝える方だと思う。調子に乗ることもあって表現が強くなり、相手の気分を害すこともあると思う。そうやって私を嫌う人がいることは否めない。
だからってわたしが、ランチや飲み会で発言を控え、これまでのようにハッキリ話さなくなれば、新たにわたしを嫌う人は減るかもしれないけど、それはわたしのありたい姿ではない。

だからわたしは

反省はするけれど、自分の好きに生きよう。

嫌われた気がしたら「嫌われたかもなぁ」と認めるだけでいいのかな。そういうことを考えた日でした。

追記

ちなみに直近で嫌われ妄想を起こしてしまった相手からは、変わらずどうでもいい雑談やランチの誘いが来る。それが嬉しい。

【双子】思わぬハグにグッと来た夜

今夜は新しい絵本で双子を寝かしつけ。

『いるよね〜こんなこ』というイヤイヤ期の子ども向け絵本。

寝室を暗くしてランプをつけて、読み聞かせスタート。

どんな本?

この本は前後どちらからも読める斬新な絵本。片方はイヤイヤするブタくん、もう片方は、すごいね〜がんばったね〜と褒められるブタくんの絵から始まる。

真ん中では「そんなブタくんがママはだいすき!」となっていて、イヤイヤな子もすごーいな子も、ママはだいすきだよ、というメッセージになる。

イヤイヤから読み進めて、真ん中のページで

「そんなブタくんが かーちゃんはだいすき!」と読んでみた(我が家は「とーちゃんかーちゃん」と呼ばせてる)。すると…

思わぬ展開!

双子1号がすっくと立ち上がり「かーちゃんだいすき!」

と言ってハグしてきたじゃないかー!

想定外のハグに「かーちゃんもだいすき!」と修造ばりに熱くハグ返し。横にいた双子2号にもハグ(日本人的ハグのお•す•そ•分•け)。

最高に嬉しい寝かしつけであった。

今朝、登園が思うような時間にできずイライラしてしまったわたし。保育園に送った後に後悔しつつ出社したのだ。

そもそもなかなか起きられないのが遅刻の原因。目覚ましから30分経ってから起床していて、保育園にはいつも3分ほど遅刻し続けている。

会社へ向かって歩きながら考えていた対策を思い出し、ハグのタイミングで双子に伝えた。

明日は7時のぴぴぴ(目覚まし)が鳴ったら、起きてすぐにテレビつけよう!

ハイ!と短くハキハキした返事をした二人。さて、明日はどうなるかな。

ちなみに新しい絵本が楽しくて興奮したのか、そのあと絵本の取り合いが始まった。(絵本で「どうぞできないブタくん」を読んで、「◯◯ちゃんはどうぞできるよね〜」「できるよね〜」とのたまった二人)

わたしはそそくさとランプを消して寝たふりを決め込んだ。即座に二人が両脇にくっついてきて、新しい絵本に始まった寝かしつけも、無事に完了。良い時間でした。

思ったこと

やっぱり子どもは褒められたり、共感されたり、ぎゅっとハグされるのがだいすきなんだな、と思う夜だった。でもそんなの、大人も一緒だよな〜

小さな気がかり

わたしが何度か書いた「ランプ」という表現。もりかしたらライトかもしれない。ランプだと、なんていうか、こすったら青いウルサイのが出てくる感じ…。

【twitter】過去の自分の解説をしてみる

ブログを書くぞ。今夜はわざわざ24時まで開いてるスタバにきた。

スタバでMacを広げるだけで、最高にかっくいー気持ちになるわたしだ。ぐふっ。夫のおさがりのMacBookAirが輝いておるわ。

今夜はただただ垂れ流していたtwitterを振り返り、ここに表示させて、もだえてみる。記事にtwitterが表示されるなんて、渡部篤郎ばりにかっこいいことが、わたしにできるのだろうか。早速ひゃーうぃごぅっ!!(このテンションは持たない)

なるほど、わたしの初めてのツイートはこういう普通の感じで始まったわけですね。

確かに「アーティスト」という肩書きにはしびれるタイプである。なんというか、わたしは「デザイン」より「アート」を求めていると感じる。わたしはこの二つをこんな風に解釈してる。

デザイン:誰かのために目的をもって作られたもの。機能する。

アート:目的がなくても成立するもの。存在する。

なんとなく、自分の生きた証というか、死ぬまでに紡がれたものたちが、アートとして地球に残ってほしいと思っている。


そうだな、歩くってすごく前向きな行為。特に今のような寒くても晴れた朝、歩くのは最高に前向きだ。徒歩の通勤中、もちろんとても気をつけながらだが、前日の振り返りを行っている。slackに招待したgeekbotさんが質問してくれるので、歩きながらざくざくと前日の自分を俯瞰する。俯瞰だと空から見るイメージか。どちらかというと、昨日の自分の後ろをついて回る感じ。ストーキングだ。そんで、質問に答える。「昨日、一番面白かったことは?」と質問されると、面白かった場面を追いかける。これ、歩きながらやってるからこそ楽しいし続いているんだと思う。

あ、これ、まとめっていうか過去の自分の解説をしてる感じだ。面白いな。次いこ。


そうそう、そうなんだよ。私にとって最高の褒め言葉は「面白い」なんだけど、わたしのことを面白いと思う人たちが周りにいる。わたしも大抵、そう言ってくれる人を面白いと感じるから一緒にいて楽しくてたまらない。価値観の掘り下げが大切なのは、価値観によって自分の認識する世界が構築されるからなのかな。

これただの思いつきだけど、「あなたにとっての一番の褒め言葉は?」って質問は、その人の面白い部分がわかる質問になりそうだ。色んな人に聞いてみたいな。

ネクトベントスなんて初めて知った。大学の授業でも疑問におもってなかったけど、今頃になって急にわいた疑問と、答え。拍手喝采である。

あー、これね。このときね、すごく感動したもんね。覚えてる。嬉しくて面白くて感動して、天を仰いで目を覆ったもんね仕事中なのに。

わたしは大学では生物多様性学を学んでたんだけど、海洋の授業があってですね。海の生き物っていろんな種類に分類できるんですよ。

例えばね、プランクトン。あなたが想像する「プランクトン」は、すごく小さな小さな目に見えないようなものだと思います。でもね、そうでもないんですよ。

プランクトンていうのは、浮遊生物って意味。波に流されて生きる生物の総称。だから、クラゲはプランクトンです。クラゲってでかいでしょ。でもプランクトンです。

逆に、マグロやサメなんかの自分で泳いで生きる生物はネクトンと言います。遊泳生物。

ほんで、イソギンチャクなど水の底に生きる生物はベントス。底生生物て意味です。

ここまでに書いたことを仕事中にふと思い出したわけです。そして疑問が湧いた。「タコは…?」タコは、自分で泳ぐけれども基本的には海の底にいる。あいつはなんなんだ?

そしてググりました。「タコ ネクトン」で検索。するとわかったんです、タコは「ネクトベントス」でした。それがもう、感動でした。伝わりますか…なんというかな。相当する言葉はないものかと思ったものに、既に定義があったことが嬉しくて。純粋な「知識」がポンと増えたというか。脳みその中の「水棲生物」ゾーンに、新たな分岐ができた気分なんです。この感動はすごく響いた。


ああ、このツイートのきっかけは「なんで人に相談されるのか?」と考えてたんだ。それで、面白いと思ってくれてるらしい後輩に聞いたんだった。そしたら、こう言われた。

「○○さんは、否定しないんですよ。こっちはすごく真面目に真剣に自分が思ってる恥ずかしいこととか、倫理的に間違ってるけどやっちゃったこととか後悔して話してるのに、大体めちゃ笑うじゃないですか。「引きました?」「こんなのダメですよね」って言っても「面白い」って言ってくれるから、なんか気が抜けるんですよ。」

人の感情と理解と行動が矛盾してても、それに至る想いがわかるとすごく納得できるし、納得する自分は、一歩自分の外に出た気持ちになる。間違ったこと、やめたいけどやめられないことの話をされて「面白い」と感じる自分は、今の自分を少し逸脱した気がする。そして、そんな話をする人のことを「人間だなぁ」と思って、心地よくなる。

想いを無視して、ルールで自分や周りをぐるぐるに縛りつけようとする人を見ると、つまらなく感じる。「矛盾」「逸脱」が好きなのかもしれない。貫けない何かのせいで感情と行動が矛盾するのだと思うから、その人の「これは譲れない」が現れる気がするんだと思う。

それがすきだ、と思う。

今夜は、このくらいで。楽しいな、自分の解説。

次回も食い気味でいくつもりなのでよろしく。

色がすき

写真の色がすきだ。

というか色がすきな写真がすきだ。

あと、加工は面倒だからカメラから撮ってそのまま出したのがすきだ。

そんでスナップショットがすきだから、一眼レフはあんまり使わない。

これは全部RICOHのGRというハイコンデジで撮影してる。撮ってそのままのデータでこんなに好きな色に仕上がるから楽しい。

【なぜブログを書くのか】忘れないためです。

ちょっとしたことで泣いてしまいます。

どの程度かというと、

あつあつの炊きたてのご飯を食べて「お米おいしい…」

これで泣いたことがあります。泣きながら食べるご飯は涙の味がするんですよ。

最近でいうと、家族で出かけていて見知らぬ土地に来たとき。横断歩道をカップルや友達どうしが歩く姿を見て涙が出ました。

「わたしの知らない街でわたしの知らない人々がそれぞれ幸せに生きてるんや…」

現在進行形で仕事のできなさに悩んでいるのですが、例え今の土地を離れようとも、わたしは幸せだと思えました。

 

わたしは地球に生きている

そう。地球に生きているんですわたしは。地球で、色んな生き物に囲まれて、家族もいて、仕事に悩んではいるけれど、でも元気に生きている。

これからどう生きようとも自分は幸せだなと気付く毎日です。明日には忘れてしまうかもしれないけれど。

 

忘れないためのブログ

これはつまり、自分の幸せを簡単に忘れてしまう未来の自分への贈り物です。