このさびしいままのわたしで。

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解決したいのではない。答えが欲しいわけじゃない。何より軽薄に共感されたくない。

そういう感情のひとかたまりを、ここしばらくお腹の中に住まわせてしまっている。そんなだから、世の中に開いた窓に向かって、何も言えない。何も歌えない。

そんな日が二週間続いている。

今日はなかなか寝ない子どもの寝かしつけから起きたら日付が変わっていた。寝室をするりと抜け出て、急いで家事をする。夫も寝かしつけで寝落ちしていた。こういうとき、まあいっかと家事を放棄して寝ることができない。勝手に責任を負っている自分に苛立つ。がさがさした気持ちのまま、食洗機の中身をだし、流しにあった食器をまた食洗機にがしゃがしゃと入れていく。その次は、乾燥機にかけない洗濯物をリビングに干した。湿った空気で居心地が悪く、すぐにエアコンを除湿モードに。四人分の洋服がサーキュレーターにそよそよ揺れる。軽やかになっていく洗濯物とは反対に、どんどん身体が重くなった。もう、すぐにでもベッドに沈んで眠ってしまいたい。

けれど、今のこの書けない自分を変えたくて、中途半端な、なにも面白くないことをそのまま、書いてしまうことにした。

子どもを産むまでは、どれだけ身体が何かに引っ張られようとも、心だけは自由にあれば、好きなときに好きなことができるだろうと思っていた。子育てによる肉体の不自由さが、心まで縛り付けることはできないと。

今はもう、そのときの考えがわたしの現実とは異なっていることに圧倒されて、そしてすっかり道端に膝をついてしまった。風が吹いて落ち葉がひゅるると飛んで行くだろう。

時間がない、と言うと。現実的な時間管理の方法が知りたい、と思われるかもしれないが、断じてそういう意味で言うのではない。

そして、家事がやりたくないならやらなければいい。ということでもない。

仕事をし、家事をし、子育てをする隙間に自分のしたいことも詰め込んで、そうして初めて「個人」に戻ったと感じる自分がさびしいのだ。誰かの部下でなく、妻でなく、母でない時間を渇望する自分が切ない。

本当は、どんな自分でも愛してしまいたいのに。全て望んだことなのに。

この、さびしいわたしとして生きていく勇気を、それでも捨ててしまえない。ぐずだ。書く道を閉ざせない。

それならば、と震えるペンのまま。世の中に開いた窓に向けて手紙を書いて飛ばす。

誰かに届け。

今、さびしい人に、届け。

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