祝福の日、そして【軽率に生きる日】

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わたし自身の家族の話だけで言えば、「家族」は歪で苦しい箱であった。

「この家はHomeでなくHouseだ」と、高校2年生の頃の日記に書いてある。その箱の中ではわたしは多くの役割を担っていた。おどけるのも、優等生に徹するのも、失敗をするのも全てわたしだった。クリスマスケーキを喜ぶのもわたしだけだった。母の日に、母に贈り物をできるのもわたしだけだった。その役目を勝手に背負い込んで。

毎晩、その日のニュースをふたりきりの食卓で母に伝える。そして反応を見ていた。どの話題が正解か?どれが間違いか?母は笑うこともあった。機嫌を悪くすることもあった。互いに探り合っていたように思う。互いに愛されたがっていたように思う。

こういうと、生い立ちに苦しみしかなかったみたいだ。でも違う。楽しいことも嬉しいことも、愛されていると感じたこともたくさんあった。だからこそ怖かった。わたしは生まれたときからわたしなのに、愛されるわたしと愛されないわたしがあることが怖くて悲しくて、本当はわたしは母を怒っていた。もっとわかりやすくわたしを愛してくれ!そうじゃないなら殺してくれ!とこころで叫んでいた。

今、癇癪を起こす双子を前に、「さて、このひとをどう愛せばいいんだろう」と心がどこかに飛んでいってしまうことがある。「もう知らないよ」と簡単に双子の尊厳を傷つけてしまうことがある。母が簡単にわたしと偏差値表を置いて喫茶店を出た日のように。

どんなに後悔していても、過去の出来事を変えることはできない。

けれどわたしは。わたしはせめて謝ろうと決めている。傷つけてしまったら、必ず謝ろうと。これが母から学んだことだ。謝ることができない母の苦しそうな姿から学んだ、わたしにとって一番大事なことだ。

すみませんは言えても、ごめんが言えなかったあのひとは、どんなにか喉がつかえていただろう。どんなにか苦しかっただろう。どんなにか自分の行為に自信を持てなかったことだろう。

だからいつもさびしそうだったんだ。

大人になった。平成25年8月4日。わたしはわたしの家族を持つことを決めた。この人を信じています、と紙に書いて休日の区役所に出向いた。警備員のおじさんが「おめでとうございます」と笑った。建物を出たときの、じりじりする日差しがまぶしかった。結婚記念日だ。家族になった日だ。

母にとってわたしが生まれた日はどんな日だったろうか。そこに父はいたんだろうか。わたしの名前をふたりはどんな風に話し合ったんだろうか。

あの家にいた頃、知らないこと、聞けないことばかりだった。自分がふたりに望まれて生まれたのかわからなかったから。そして家を出た後、親戚の口から(やはり)望まれてなかったと知ってしまったから。(やはり、だ)

望まれてできたわけでないわたしは、それでもちゃあんと望まれて産まれた。祝福された。

それは、写真からわかった。生まれたての頃にはあったかそうなふわふわのおくるみにくるまれていたし、1歳の誕生日にはたくさんの笑顔の人たちに囲まれていたし。いつだって愛されていたと思う。十代のわたしをもはや慰めることはできないけれど。

だからわたしはわたしの子どもに必ず話すだろう。

お腹にいるのが双子だとわかったとき、お父さんは驚いて診察室のイスから立ち上がったこと。

ふたりぶんの羊水と胎盤でずいぶんとお腹が重たかったこと。

何度もお腹の中のあなたが生きているか心配になったこと。

あなたがお腹に来たから、自分の人生の舵を取ろうと決めたこと。

スーパーから歩いて帰る夕方の道すがら、お父さんと一緒にあなたの名前を決めたこと。

帝王切開では手術の途中で麻酔が切れて痛くて寒くて死ぬかと思って泣いたこと。

わたしは。

わたしはあなたに会いたくてたまらなかったことを。

何度でも全力で伝えるから。

お題「記念日」

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