仙人にもらいし箱【軽率に生きる日】

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忘れたくないことがたくさんあって、やっぱりわたしは泣きそうだ。

初めて明確に「忘れたくない」と思ったのは、父に工具箱を買ってもらったときだ。小5だったと思う。

父はなんていうか職種に名前のない仕事をしていて、建築会社から依頼を受けて新居を綺麗にする人だ。綺麗にするというとお掃除のようだけど実は違っていて、家を建てる過程で材木を運ぶときにできた小さな傷を全て綺麗にしていく、そういう仕事をしている。大理石の修理なんかもしてた。気がする。父は多くを語らないので、実はよくわかっていない。なんならわたしは父がどんなふうに暮らしているかも知らない。けれど、週に2日しか顔を合わせなかった14年間であってもやはり共に生きたと思うし、今でも細い糸で繋がっている人だと思う。

忘れたくない。そんな父から工具箱にトンカチやら釘やらネジやらをたくさん買って入れてもらった日。「なくしたらどうしよう」ずっしりと重たい工具箱を抱えて、あまりの嬉しさと重さに途方にくれた。父とわたしの間に初めてはっきりと「なくしてはならない物理的なもの」ができた。父のことを、仙人のようだと母は言った。そうでも思わなければ一週間のうち2日も過ごせなかったのかもしれない。わたしも当時は父を仙人だと思っていたけれど、最近ではただのおじさんなのだと思っている。

仙人からもらった工具箱は、29歳のわたしの家にきちんとあって、探さずともどこにあるかちゃんとわかっていて、もらったときよりもわたしはずっとずっと心の軽い人になった。「なくしたらどうしよう」とはもう思わない。

工具箱はいつ開けても、煙草を吸っていた父のジャンパーの香りがしそうだ。ちょっとだけ、飼っていた黒いラブラドールのサラの匂いも。

仙人は山を下り、サラは17歳で死んだ。両親は離婚し、父は煙草をやめてただのおじさんになった。ただのおじさんは、2月に彼女と共に田舎にでっけー家を建てたそうだ。

幸せがすぎるな。

忘れたりしないとわかりきっていることがたくさんあって、やっぱりわたしは泣きそうだ。

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