ひかるまぶた【軽率に生きる日】

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お題:SEXとエロと下品

道端のカピカピになったエロ本を拾ったことがあるか?

小4の下校時。突然に現れた「性」に目を奪われながらも、友達と一緒だったから一度帰宅して、時間をおいてその道に戻ったわたしです。歩いて向かったのに息が切れていた。そして、もうそこにカピカピはなかった。ホッとした。

わたしがSEXに出会ったのは小学校の性教育だ。明らかに早すぎた。小2で仕組みの6割が説明されてしまい、眉根を寄せたまま帰宅。両親の顔を見るのが怖かった。あのようなことが、このような場所で、つまりわたしが生まれたのもそういう仕組みで。おろろおろろ。恋愛や家族愛を言語化する前に「子どもの作り方」を図解されてしまった。

自分の出生手順に抱いた拒否感と反比例して、わたしの性への興味関心は止まることなく腹のなかに蓄積した。小5で友人の母を経由してBLに出会ってからは腹のなかのそのヘドロを妄想の美少年をうふふと想うことで解消していた。エロのパワーは本当にすごい。辛いこと面倒なこと全て押し流すエロの力。中3までは妄想の世界に生きてそれなりにふくふくと幸せでいた。

中3。そう。初めての彼女と出会ったころだ。成人した異性愛者の女性だったから、それなりに男性経験があった。その知識と経験を、言葉で、吐息で、指で流し込まれた、高1の春。キスをするときのふせたまぶたと、黒板へ向かって背伸びする細い腰がきれいな女性だった。

お父さん人形とお母さん人形で説明されたアレを、ちょっと違う形で経験してしまい、そのあやふやさはぐっしょりと甘い香りがした。受け皿から溢れる何かが、染み込んでいく。

愛して愛されて。しかしわたしの性質上なのか、彼女と共に行き切るのは難しかった。集中力が試されるせいか、その最中に段々と目の前の出来事がゲシュタルト崩壊して、性的な感情が薄れていく。この人を好きだという気持ちと、この人がいなくなったら死んでしまいそうな自分と、この人をかわいいと思えないわたしがぐちゃぐちゃになる。そういうことを考えていると一定のリズムが刻めるようで、彼女がめちゃくちゃな声を出す。耳を塞ぐ手がなかったから、目を閉じて息を止めた。

自分が同性愛の最中にいることは、15歳のわたしの大事なアイデンティティだった。これを失うことなど考えられないほどに。ぐらぐらの一本槍のようなアイデンティティにしがみついて、いやだいやだと泣いていた。別れたくないよう。

でも、彼女をかわいいと思えない。

わたしの前で楽しげに歌い踊るようになった彼女を下品だとさえ感じ、そしてそれを笑えない自分。そんなふうな表情を、行動を、以前の男の前でもしていたのだろう?本当は男性のソレを求めているんだろう?

19歳のわたしは彼女のSEXもエロも以前のようには受け止められなくなってしまった。それが彼女の一番やわらかい弱みだったのに。

彼女が浮気未遂を起こそうと、わたしの大学受験失敗を喜ぼうと、ぎりぎりのラインでわたしは彼女との関係の上に生きた。浪人をへて、大学で新たに恋をするまで、彼女との関係は続いた。アイデンティティは失われることなく、その後数年に渡って増築されていくが、今でもあのときの彼女を受け止められなかった自分を思い返す。

抱きしめてしまえたらよかったのに。

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