わたしは「生き物派」

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わたしが3歳の頃、家に黒のラブラドールの子犬が来た。家族の中で下っ端扱いされて、よく甘噛みされたから怖かった。サラ、という名前の女の子。

父の犬だったので、父と別居して母と二人で暮らし始めた4、5歳の頃からは、あまり会えなかった。両親は別居しつつも週に一度同居する単身赴任スタイル?をとっていたので、父が半年に一度くらいサラをうちに連れて来たときだけ会えた。

幼い頃にはサラが怖かったけれど、小学生になる前後からサラが好きになった。生き物自体、全般的に好きになった。父が毎週帰ってくる度に動物の本を買って来たからだと思う。

サラは賢い犬だった。父はサラを正しくしつけていたように思う。必要以上にベタベタしない。しっかりと上下関係を作り、座る位置や触り方にも馴れ馴れしさがない代わりに、信頼していた。父は犬をとても大事にしていた。

ときたま会えるサラの隣で、真っ黒な体をスケッチしたり、近くで寝転んで本を読んだりした。

久しぶりに会えて嬉しかった夜。父とサラが彼らの家に帰ると、母ひ途端に粘着テープで絨毯についた黒い毛を取り始めた。家が汚れた!と怒っているように見えて、それがとても悲しかった。

サラは歳をとった。けれど、大型犬にしては、老犬になってもツヤツヤしていた。

わたしが二十歳の頃に両親が熟年離婚をした。それから一年経たずに、サラは死んだ。17歳だった。

サラが歳をとってもツヤツヤしていたのは、父が食事にこだわっていたからだったそうだ。サラが死んでからの方が、父とサラについてよく話したように思う。

サラが死んだ後、大学生の頃に道端で子猫を見つけた。本当に子猫。手のひらに乗るレベル。短いしっぽがピンと立っていて、痩せていて目やにだらけでヨタヨタしてた。気付いたらTシャツにくっつけて一人暮らしの家に連れ帰ってた。

さて、どうしよう?と思ったけれど、インターネットで調べたらなんでも分かる時代で助かった。歯が生えてたから柔らかめの猫ご飯を買って与えた。

「うりぼぅ」と名付けた。お腹が瓜坊みたいな斑点模様をしていた。

赤ちゃんじゃなくなって、斑点は消えたけれど、うりぼぅと呼んだ。キレイな、というか愛らしい三毛猫に育った。寂しがりのわたしとうりぼぅの二人暮らし。

社会人になって、熊本から埼玉へ連れてきた。穏やかに共に暮らした。

当時の恋人と別れたり、新しい恋人ができたり、それらを隣で見ていたうりぼぅ。

埼玉へ連れてきて一年後、土日に泊まりで旅行に行って帰宅すると、猫タワーのてっぺんで冷たくなっていた。既往症もなかったので、心臓発作じゃないかと葬儀屋に言われた。

気軽に旅行になぞ行かなければ良かった、と悔やんだ。うりぼぅは病院が嫌いだったけれど、動物病院のホテルに預けていれば結果は違ったのでは?とも。

仕事を休んで一日、途切れ途切れに泣いた。燃やさねばならない、と業者に電話した。恋人も火葬場に付いてきた。ひとしきり泣いて火葬に出した。骨になって出てきたうりぼぅは小さくて驚いた。

骨壷は家にある。鰹節を添えて置いてある。

うりぼぅが居なくなって、あんなに悲しかったのにまた猫を飼いたくなった。猫は死ぬときに人の心に猫型の穴を開けて去る、とTwitterに書いてあったけど本当だ。あの穴は人間では埋まらない。恋人とは夫婦になった。けれど、どうしたってまた、あのあたたかい毛玉を抱きたくなってしまう。

ふと、いつもは通らない駅を通ったらば、猫の里親募集に出くわした。その中の10匹ほどのうち2匹が今、膝の上にいる。

鉢割れの男の子と、茶トラの女の子。次に猫を迎えるなら2匹で、と決めていた。目論見通り、2匹は毎日一緒に寝て、じゃれあってケンカして、仲良しだ。誰かとくっついて共に生きることの幸せを、わたしに教え続けてる。

犬派の頃は、猫は眼中になかった。今はもう、犬だろうが猫だろうがウーパールーパーだろうが、生きている奴らが家にいることが嬉しい。「生き物派」だ。

わたしは人間で、人間の子を生んだけれど、子どものこともまた、生き物だと思ってる。だから、観察の対象としての彼らが急にわたしに笑いかけてくると、ときどき驚いてしまう。そしてやっぱり、犬も猫も人間も、かわいいなぁと思う。

追記

ちなみに、今読んでいるバッタの本も生き物への愛に満ちていて、読むだけでうきうきする。

『バッタを倒しにアフリカへ』

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