ひかるまぶた【軽率に生きる日】

お題:SEXとエロと下品

道端のカピカピになったエロ本を拾ったことがあるか?

小4の下校時。突然に現れた「性」に目を奪われながらも、友達と一緒だったから一度帰宅して、時間をおいてその道に戻ったわたしです。歩いて向かったのに息が切れていた。そして、もうそこにカピカピはなかった。ホッとした。

わたしがSEXに出会ったのは小学校の性教育だ。明らかに早すぎた。小2で仕組みの6割が説明されてしまい、眉根を寄せたまま帰宅。両親の顔を見るのが怖かった。あのようなことが、このような場所で、つまりわたしが生まれたのもそういう仕組みで。おろろおろろ。恋愛や家族愛を言語化する前に「子どもの作り方」を図解されてしまった。

自分の出生手順に抱いた拒否感と反比例して、わたしの性への興味関心は止まることなく腹のなかに蓄積した。小5で友人の母を経由してBLに出会ってからは腹のなかのそのヘドロを妄想の美少年をうふふと想うことで解消していた。エロのパワーは本当にすごい。辛いこと面倒なこと全て押し流すエロの力。中3までは妄想の世界に生きてそれなりにふくふくと幸せでいた。

中3。そう。初めての彼女と出会ったころだ。成人した異性愛者の女性だったから、それなりに男性経験があった。その知識と経験を、言葉で、吐息で、指で流し込まれた、高1の春。キスをするときのふせたまぶたと、黒板へ向かって背伸びする細い腰がきれいな女性だった。

お父さん人形とお母さん人形で説明されたアレを、ちょっと違う形で経験してしまい、そのあやふやさはぐっしょりと甘い香りがした。受け皿から溢れる何かが、染み込んでいく。

愛して愛されて。しかしわたしの性質上なのか、彼女と共に行き切るのは難しかった。集中力が試されるせいか、その最中に段々と目の前の出来事がゲシュタルト崩壊して、性的な感情が薄れていく。この人を好きだという気持ちと、この人がいなくなったら死んでしまいそうな自分と、この人をかわいいと思えないわたしがぐちゃぐちゃになる。そういうことを考えていると一定のリズムが刻めるようで、彼女がめちゃくちゃな声を出す。耳を塞ぐ手がなかったから、目を閉じて息を止めた。

自分が同性愛の最中にいることは、15歳のわたしの大事なアイデンティティだった。これを失うことなど考えられないほどに。ぐらぐらの一本槍のようなアイデンティティにしがみついて、いやだいやだと泣いていた。別れたくないよう。

でも、彼女をかわいいと思えない。

わたしの前で楽しげに歌い踊るようになった彼女を下品だとさえ感じ、そしてそれを笑えない自分。そんなふうな表情を、行動を、以前の男の前でもしていたのだろう?本当は男性のソレを求めているんだろう?

19歳のわたしは彼女のSEXもエロも以前のようには受け止められなくなってしまった。それが彼女の一番やわらかい弱みだったのに。

彼女が浮気未遂を起こそうと、わたしの大学受験失敗を喜ぼうと、ぎりぎりのラインでわたしは彼女との関係の上に生きた。浪人をへて、大学で新たに恋をするまで、彼女との関係は続いた。アイデンティティは失われることなく、その後数年に渡って増築されていくが、今でもあのときの彼女を受け止められなかった自分を思い返す。

抱きしめてしまえたらよかったのに。

スカートが飛び跳ねる【軽率に生きる日】

お題:スカート

スカートが嫌いだった。小3の頃にキュロットスカートをはいて以来、二十歳になるまで制服以外のスカートを履くことはなかった。

女であることが嫌だった。女であること、女として扱われること、女らしさを求められることが嫌だった。制服のスカートなんて最悪で、選択肢を一気に奪われた悲しみもまた、そんな自分への恥ずかしさになって返ってくる。

小6の終わりにスカートの採寸に行くのは負けを認めたようで、惨めだった。その日の日記には、制服を着て鏡の前で泣く自分の姿を絵に描いていた。

足元はすかすかして、めくられる前提、アクシデントが起きて恥ずかしい目にあう前提で短パンをはく。それもまた嫌だった。

高校入学児の採寸では、もう心が拒否しないほどにスカートをはかざるを得ない自分を受け入れていた。

大学生になると、一人暮らしの自由さで服が全てメンズになった。ダサい人にはなりたくなくて、慎重に服を選んだ。デブの男装だけはするまいとダイエットに走った。

だからといって、男になりたいとは思わなかった。そういうことでは全くなかった。わたしは女であることから逃げたくて、女らしさと対極に行っていただけだった。「女の子らしさ選手権」の応募資格をゴミ箱に捨てたかった。

大学生2年生の頃、かわいいなと思うスカートに出会った。懐かしい感覚。それを売るお店を何度も見るわたしに、当時親しかった人が「はいたらいいじゃない」と言った。それで勢いづいてスカートをそっと手に取り、いそいそとレジに向かった。

いい機会だ、女であることを受け入れよう、と思った。

当時のわたしはタクシーに乗れば「お兄ちゃん若いね!彼女いるの?」と聞かれるような振る舞いをしていたのに。お兄ちゃんではないが彼女はいたので「いますいます」と笑ったが。

そういう自分を一度捨てるしかないと、決死の覚悟で「女の格好」をした。

スカートもお化粧もコスプレのようで楽しくて、けれどそれはそれでやっぱり、なんだか違った。非日常だった。

女であることを拒否し続けていたのに、女になるしかないぜ、と目を背けたらこうなるらしい。わたしは自分の性とファッションがどんどんとずれていくのを感じながら、一度身につけた「スカート」を脱げずにいた。

社会人になった。相変わらず自分がごちゃまぜで、アンバランスだった。男らしさと女らしさを行ったり来たりして、囚われたくなかったはずの「らしさ」で自分をぐるぐるに縛っていた。

そうこうしてたら結婚した。

偶然にも身体も心も男性な人が相手だったから、多少コスプレを楽しみつつも、頑張って女らしくあろうとした。料理も洗濯もして、お嫁さんになろうとした(今思うとちゃんちゃらおかしい。ちゃんちゃら。)

結婚式の写真に写るわたしは完全に女だった。

そういう自分が、妊娠をした。生物学的に女性であるとは、そういうことだ。望んだことだが、心の端っこに「まさか」が残っている。まさか自分が妊娠しようとは。(どうやらほんとに『女』だったようだ)

腹に人間が入っているらしい。しかも二人も。驚きだ。

どんな子が出てくるかなと夫と話したときにわたしは「性別で悩みを抱える子が一定数いるなら、よそんちじゃなくて我が家に生まれたらいいな」と言った。筋金入りの不登校だった夫もいるから「学校行きたくない子も、うちに生まれたらいいね」と。

そういうことが至極自然であるような空気が流れていた。

なんだ、この人がわたしを大事にするのは、わたしが女だからではなかったのか。

かけていたメガネがずれる。右手で定位置に戻せば、視界はクリアだ。夫はいつもの真顔で笑ってる。

今の私は多分、今でも男らしさと女らしさを行ったり来たりしているように見えるだろう。シーソーのように、自分の性別をがたんごとんと傾けるような。

でも実は、ちょっと違う。

シーソーに乗るのはやめた。どこにも行けないから。今のわたしはただ心の赴くままにあっちこっちに歩き回っている。目に見える景色を変えるために。今ここ、の場所を変え続けるために。

女とか男とかもう、わたしの周りで好きに遊んで飛び跳ねてればいいだろう。

履歴書の性別欄。十代の頃からは想像できない軽さで、わたしのペンは「女」に丸をつけた。

バターしみしみのトーストを

3年前の今日、帝王切開で一卵性の双子を生んだ。

わたしの母は「あんたは完全にかえるだった」と生まれたてのわたしを見た感想を何度も話していた。

双子は完全にお猿であった。というか旦那だった。ハイテンションで看護師さんたちに写真を撮ってもらった。お腹開きっぱなしなのに。せっかくなのでお腹の中も写るように撮影してもらう。そうそう自分の腹の中を見ることもなかろう。

しかし、子どもを取り上げてもらった直後から感覚が変だ。お腹がもぞもぞするし、なんていうか、これ、痛いんじゃない?

横の看護師さんに声をかけると、どうやらお腹側の麻酔が弱まっているらしい。瞬時に慌ただしくなる手術室。看護師さんに励まされながら、痛みと出血による寒さで震えつつお腹を閉じてもらい、終わる頃にまた麻酔が効き出した。

手術室を出ると夫が「元気そうだったよ、お疲れ様、ありがとう」と言った。

ああそうか、よかった。

安心した。それがちょうど3年前の朝10時だった。

昨日。2歳最後の日に新宿御苑で撮影をしてきた。以前もお世話になったカメラマンの女性に双子も慣れて、楽しく撮影できた。

今朝。無事に3歳になった双子。どんな人になるだろう。

3年前のわたし、頑張った。死ぬかと思ったけどピンピンしてる。子どもは元気にひょうきんに、育っているよ。

今日は自分へのお祝いに有給をとった。

そんで今は、川越。地元のおじさんたちが集まってそうなカフェで食べるモーニングを食べてる。

ドレッシングがだらだらのサラダに、ケチャップのついたスクランブルエッグ。バターしみしみのトースト。

よいな。よい朝だな。

写真撮ろう。

追記

今日は、会うと元気の出る人と会う日。

魅力がすごいよ

こんばんは、新しいキーボードを買ってドヤ顔でスタバでブログを書いていますわたしです。Magic Keyboardかっこよすぎだろ…

GW半ばですが、オンラインコミュニティ「ライフエンジン」で知り合った りんださんとミッションステートメントについてお話する機会をいただきまして。機材トラブルで前編後編に分かれております。あなたが人類ならば、とりあえず聴いておこうぜ…。

前編

後編

えっ。

と思うような終わり方ですが、このブログがアンサーソングみたいなもんです。

ラジオ録音後、SlackのDMを使って今回のまとめのような、感想をお話しました。

そこでりんださんがお話ししてくれた中で印象に残った言葉。

「目標は暗闇から抜け出すための希望の懐中電灯みたいなとこがあるかも」

この思考、わたしにはとても新鮮でした。人生で「今がどん底」と感じて崩れ落ちている只中に、目標を掲げることでまた再起する人。「ああ、すごいなぁ」ただただそう思いました。りんださんは、ストレングスファインダーの上位10位に「目標思考」があるとのことで、頷けます。

そしてね

「目標は困ったときにその状況を抜け出すために自分が使う手段みたいなもの」

「ただその方向性を間違うと、人生グラフが急落する」

「目標というハシゴを正しい方向にかけるのがミッションステートメント」

そうか、りんださんのミッションステートメントは、りんださんがこれまでの人生をしっかり観察したからこそ作れたものでした。自分の人生の上昇下降の根拠を書き出すことで、どうしたら上がれるか、どうしたら下がってしまうのかがわかるんですね。

ミッションステートメントを作るなら、わたしもまずは人生グラフを描こう!そう決めました。あの激しいグラフを見たら、自分も書いてみたいと思うでしょうそうでしょう。

何度も人生グラフが急降下するも、自分で人生を切り拓いてきたりんださん。個人的なことをたくさん聞いてしまったのですが、その全てに応えてくれたことがとても嬉しかったです。こういう風に話をすると、その人を好きになってしまうな。と思いません?魅力がすごかった。そして、あー!

楽しかった。

追記

りんださん、こんな感じでどう?

スニーカーの白く光る

くちから頭から、言葉が出てこないことがある。なんせ眠たい。春だからというのもあるけれど、この気温の変化にわたしの身体がすっかり驚いている。

ブイヨンに会いに青山に行ったから、写真をのせるよ。

たくさんの人がブイヨンに会えるのを待っていた。40分待ちの整理券とGRを持って、青山を歩くことに。墓地なのだけど。

奥に見えるのが、TOBICHI2 。

においで分かる花。

縦につなげて。

夕焼けのきれいな。

車が跳んでたわ

散策おわり。

お葬式、と言うのかもしれないけれど。「ブイヨンからのおれい」のような、わたしが死ぬときはこうでありたいと思うような、場所と時間を過ごした。

追記

買った靴が真っ白で気にいっている。New Balanceが似合わない勢としては、オニツカタイガーの存在は大きい。

野望の会とわたしの門番

セミナーの後はスチール夫に見知ったことを全て話してみて、もっかい納得する、ということをやっているわたしです。ブレイズぽいな。

野望の会とウェルススペクトル

昨日、野望の会とウェルススペクトルのセミナーに出向いた。

野望の会では「性的なラジオをやりたい」と言い切った。野望を話し始める5分前に決めた野望。話せば話すほど広がり、気持ちが強まるし、思ってもなかったことを口から出す自分に毎度驚く。

すっきりと話し終わって得たフィードバックがこちら。

※「性的」というカードがあればもらえたと思うのだけど、そういうわけにもいかない。

話す野望が変わっても、変わらず毎回置かれるカードがある。

・面白さ

・ユニーク、独自性

・元気、エネルギッシュ

あたりが定番。

これは多分、野望の内容というよりも話すわたしからみなぎる要素。モノによっては自覚も多少あるけれど、いつでも驚くのは「ユニーク・独自性」だ。恐縮厳禁なのだけど、なのだけど、なのだから、…そう。

素直に嬉しい。

ありがたいです嬉しいですホクホクします。わたしはいつでも、好きな人たちの一番になりたくて、そのためにもっと自分に個性があればなぁ、もっと笑ってほしいなぁと思って生きてきて、そんな自分には逆に独自性なんてないなぁと思っていたもので。

だから、ただただ嬉しいです。あるんだな、独自性。このままでユニークなんだなわたしは。と、そして、野望の会でなくても、いつでも周りにいる人がわたしに「あなたはユニークだ」と教えてくれているんだと思いました。思い返せば受け取れてなかったプレゼントがたくさんあった。もっと受け取ろう、と思った。過去に置いてきたプレゼントだって、思い出すことでそこに戻って拾える気もする。

野望の会、すきだなぁ。

「…とんだ野望の会」

そういうことを夫に話すことで、やっぱり気持ちが強まる。運転席の夫に、助手席から包み隠さず「性的なラジオがしたい」と言ったところ夫は「…とんだ野望の会」と言った。あの感じは面白がってくれてたのだと思う。人生のパートナーには世界一わたしを面白い人間だと思っていてほしいので、これからも包み隠さずなんでも話したい。

追記

そんな、夫に面白がられたいわたしだが、夫の前でおならだけはできない。夫はwelcomeだと言うが、わたしの肛の門番が「決して!決して開けてはならぬ!」と言っている。

けれど10年後、もし夫婦間にマンネリが生じ会話もなくなってしまったときには、勇気を出して肛の門番を罷免し、二人の関係に刺激を入れようと思う。driveすべきときにdriveできる人間でありたい。

昨日の自分と少し違う自分になる

今日は夫に寝かしつけをお願いして、ためていた家事を22時から開始。

洗濯機を回し始めても、なんとなく次の家事にうつれず、洗濯乾燥機にもたれかかってiPhoneをぽちぽち。してたんだけど、なんだかたまらない気持ちになって、つまり昂ぶって、いてもたってもいられない。今すぐ、今すぐに!と急いで、とりあえずパジャマのズボンをジーパンに変えて、適当なパーカを羽織って、ランニングシューズを履いて、マンションの階段を駆け降りた。そんで走った。

昨日の自分と少し違う自分に

ニール・ヤングの『仕事は楽しいかね』にあったと思う。

昨日の自分と少し違う自分になってみなさいと。だから走ってみた。走ってる間に考えたことは

  • 痩せたい
  • 過去一番痩せてたのは大学1年の頃だったな
  • 浪人当時の彼女にデブと言われたことでダイエットを開始
  • 開始3ヶ月で12kg痩せた
  • 今まで買えなかったデニムが買えるようになった
  • 友人から「華奢」と、それまで言われたことのない単語を言われて心踊った
  • BMI22.8から18.9へ(これで身長がバレる)
  • 炭水化物をとらずに、野菜サラダとコンビニおでん、鶏ささみだけ食べた
  • 昼間は予備校で9時から21時まで勉強
  • 帰宅してからはビリーズブートキャンプしてたな
  • ビリーの掛け声に合わせてめちゃ声出しながら筋トレするのにハマってた
  • 痩せると周りの扱いが変わることが少しわかったな
  • なんで大学2年からリバウンドしちゃったんだろう
  • 痩せてることに意味がなくなったからかなぁ…
  • そんで元通り
  • 今は更にプラス5kg
  • やせてぇなぁ…ボトムスの試着で無駄に勇気を使いたくないな
  • 試着室の外から「お客様いかがですか?」と声かけられた時に何度戦慄したことか
  • はいりませんでした、とは言えない
  • わかるよね?外から見たらわたしの腰回りだいたいわかるよね?
  • えっ、お客様の体型なら全然はけますよー!とか言った店員さんのお世辞に乗ったわたしが恨めしい
  • そんな経験はもうしたくない
  • あと単純に太ってるのが似合わない顔してる…デブでも痩せでも顔とか好きな服に合ってればいいんだ
  • はて、家が近づいてきた
  • 足が重い
  • 星綺麗だな
  • 小学生の頃、親が流星群を見に里山に連れてってくれたな
  • あったかくて甘いミルクティを水筒に入れてくれて
  • 明かりの少ない田舎まで車を走らせて、道の駅みたいなところでシートひろげてさ
  • なにこれなつかしい、ブログに書こうっと(忘れないうちに書く)
  • しんどい…
  • でも歩くのはやだ
  • もうすぐ家だ

で、到着。時間は22分。あとで測ったら距離は2.6kmだった。1kmくらいかと思ってたけど案外走ってたみたい。

中高と陸上部だったけど走るのはあまり好きじゃない。だから、案外走れた自分に驚いた。

昨日の自分と違う自分に、なってる!

走る前のわくわく感、走り終えてシャワーを浴びた気持ち良さ、更に缶チューハイまで呑んで最高の気持ちである。

20分あればこんなに気持ちよく走れるんだ。これがわかったことで、また少し違う自分になっていくような気がする。

追記

更にいうと、走り終えた後にもまたブログに書きたい出来事が!前に進むと勝手に何かが動いて行くような感覚だ。

ちなみにアイキャッチの画像は、少し違う髪型になったわたしだ。

わたしは「生き物派」

わたしが3歳の頃、家に黒のラブラドールの子犬が来た。家族の中で下っ端扱いされて、よく甘噛みされたから怖かった。サラ、という名前の女の子。

父の犬だったので、父と別居して母と二人で暮らし始めた4、5歳の頃からは、あまり会えなかった。両親は別居しつつも週に一度同居する単身赴任スタイル?をとっていたので、父が半年に一度くらいサラをうちに連れて来たときだけ会えた。

幼い頃にはサラが怖かったけれど、小学生になる前後からサラが好きになった。生き物自体、全般的に好きになった。父が毎週帰ってくる度に動物の本を買って来たからだと思う。

サラは賢い犬だった。父はサラを正しくしつけていたように思う。必要以上にベタベタしない。しっかりと上下関係を作り、座る位置や触り方にも馴れ馴れしさがない代わりに、信頼していた。父は犬をとても大事にしていた。

ときたま会えるサラの隣で、真っ黒な体をスケッチしたり、近くで寝転んで本を読んだりした。

久しぶりに会えて嬉しかった夜。父とサラが彼らの家に帰ると、母ひ途端に粘着テープで絨毯についた黒い毛を取り始めた。家が汚れた!と怒っているように見えて、それがとても悲しかった。

サラは歳をとった。けれど、大型犬にしては、老犬になってもツヤツヤしていた。

わたしが二十歳の頃に両親が熟年離婚をした。それから一年経たずに、サラは死んだ。17歳だった。

サラが歳をとってもツヤツヤしていたのは、父が食事にこだわっていたからだったそうだ。サラが死んでからの方が、父とサラについてよく話したように思う。

サラが死んだ後、大学生の頃に道端で子猫を見つけた。本当に子猫。手のひらに乗るレベル。短いしっぽがピンと立っていて、痩せていて目やにだらけでヨタヨタしてた。気付いたらTシャツにくっつけて一人暮らしの家に連れ帰ってた。

さて、どうしよう?と思ったけれど、インターネットで調べたらなんでも分かる時代で助かった。歯が生えてたから柔らかめの猫ご飯を買って与えた。

「うりぼぅ」と名付けた。お腹が瓜坊みたいな斑点模様をしていた。

赤ちゃんじゃなくなって、斑点は消えたけれど、うりぼぅと呼んだ。キレイな、というか愛らしい三毛猫に育った。寂しがりのわたしとうりぼぅの二人暮らし。

社会人になって、熊本から埼玉へ連れてきた。穏やかに共に暮らした。

当時の恋人と別れたり、新しい恋人ができたり、それらを隣で見ていたうりぼぅ。

埼玉へ連れてきて一年後、土日に泊まりで旅行に行って帰宅すると、猫タワーのてっぺんで冷たくなっていた。既往症もなかったので、心臓発作じゃないかと葬儀屋に言われた。

気軽に旅行になぞ行かなければ良かった、と悔やんだ。うりぼぅは病院が嫌いだったけれど、動物病院のホテルに預けていれば結果は違ったのでは?とも。

仕事を休んで一日、途切れ途切れに泣いた。燃やさねばならない、と業者に電話した。恋人も火葬場に付いてきた。ひとしきり泣いて火葬に出した。骨になって出てきたうりぼぅは小さくて驚いた。

骨壷は家にある。鰹節を添えて置いてある。

うりぼぅが居なくなって、あんなに悲しかったのにまた猫を飼いたくなった。猫は死ぬときに人の心に猫型の穴を開けて去る、とTwitterに書いてあったけど本当だ。あの穴は人間では埋まらない。恋人とは夫婦になった。けれど、どうしたってまた、あのあたたかい毛玉を抱きたくなってしまう。

ふと、いつもは通らない駅を通ったらば、猫の里親募集に出くわした。その中の10匹ほどのうち2匹が今、膝の上にいる。

鉢割れの男の子と、茶トラの女の子。次に猫を迎えるなら2匹で、と決めていた。目論見通り、2匹は毎日一緒に寝て、じゃれあってケンカして、仲良しだ。誰かとくっついて共に生きることの幸せを、わたしに教え続けてる。

犬派の頃は、猫は眼中になかった。今はもう、犬だろうが猫だろうがウーパールーパーだろうが、生きている奴らが家にいることが嬉しい。「生き物派」だ。

わたしは人間で、人間の子を生んだけれど、子どものこともまた、生き物だと思ってる。だから、観察の対象としての彼らが急にわたしに笑いかけてくると、ときどき驚いてしまう。そしてやっぱり、犬も猫も人間も、かわいいなぁと思う。

追記

ちなみに、今読んでいるバッタの本も生き物への愛に満ちていて、読むだけでうきうきする。

『バッタを倒しにアフリカへ』

【コーチング】本音がどわっと

なんだかやりたいことをやれてない…と思ってました。それをコーチングで話してみたんです。そしたらば、わたしの心にあるモヤモヤの実態は、全然違ったんです。こりゃたまげた。

追記!

わたしがお世話になっているのは「さいんぽすと」のいっちーさんです。

コーチングで話したら

自分のやりたいことがやれてなくって…から始まったのですが、質問される度に気持ちが右往左往。行き着いたのは「子どもを早く寝かせなくてはという一般論と、急かしたくない自分」で揺れ動いている、という気持ちだったのですが。「なぜ子どもを早く寝させたいか」と問われて、「自分のせいで子どもの背が伸びなくなったらどうしよう」という気持ちも出てきました。何度かやり取りして「背が伸びない、ということにとてもこだわりがあるみたいですね」と言われると、ううっと苦しくなったんです。

水面下の本音が出てきた

このとき、わーーーっと本音が表に出てきました。「子どもの背を伸ばしたい」というわたしの願望には「体型や見た目を親戚の男性たちに揶揄された」自分の経験によるものでした。初めてコーチングで涙が出ました。

わたしの親戚一家はわたしをとても可愛がってくれたものの、見た目をどうこう言うことを愛情表現だと思っている人もいたようです。

わたしは小さい頃から女の子らしくすることがイヤで男の子のようにふるまっていたのですが、制服で仕方なくスカートをはけば「大根足!」「似合わん~」。ちょっとアクセサリーをつければ「うわっ、そんなんつけるようになったんね~」。明らかにバカにしているのがわかるけど、一度笑って対応してしまうと「やめて」と言えなくなりました。だって、実際に太っているし顔が可愛いわけでもないし…言われても仕方ないという理由を並べていました。

一番ショックだったのは、自分の結婚式。高砂に座っていると親戚夫婦が来て、男性がわたしに「全然ドレスが似合ってない!」と。本当に本当に本当にショックでした。幸せな思い出の端っこに真っ黒なカビが生えた気分でした。結婚式から時間が経つにつれ、更にカビは広がりました。今でも全く許せないし思い出すと涙が出ます。

こんな親戚関係が嫌だというのも実家を離れた1つの理由でした。

わたしの子どもたちも親戚から見た目を揶揄されるのではないか?と、不安で「子どもの背が伸びる→多少体重があってもデブには見えない→バカにされない」という式が成り立ってしまったようです。だからつまり、本当に自分がしたいことは子どもを早く寝させることでなくて、子どもが揶揄されないように親戚からガードすることなんだーーー!と思いました。そこまで一気に話すとコーチは「でも、これ想像なんですが…」と前置きがあって「時間が経ったら、やっぱり子どもたちを早く寝させなくちゃ、と思う気がしませんか?」と。

確かに。

そうだ、多分自分はそう思う。だって早く寝てくれたらわたしの自由時間が増えるし、やっぱり伸ばせる背があるなら伸ばしときたい。睡眠時間をたくさんとるほうがよいのは一般論だが事実だろう。

わたしは調子に乗りやすいので一人で「親戚から子どもを守るぜ!」の道に突き進みそうでしたが「早く寝させる」にフォーカスし直し。そこでどうすれば早寝させられるか案出ししました。

子どもが早く寝るために「実験と観察」をすることにしたので、それを実践中。楽しいし、実験だ!と思えば失敗してもあまり気になりません。

右往左往しながら、どうしたらもっとHAPPYになれるか考える時間

コーチングは、自分の思考の流れをあっちにやり、こっちにやりと視点を変えながら進んでいきます。この時間のおかげで自分の幸せの大切さを何度も心に刻めているんだと思います。

追記

夫もコーチングを受けてみたいんだとか!興味を持つと思っていなかったのですが

仕事に関連してコーチングで自分のやりたいことを探ったり明確にしたりする過程が知りたいみたい。

早速コーチを夫に紹介したけれど、さて本当に問い合わせるのか…?

夫婦で同じコーチのコーチングを受けるのは面白そうだ。

芸術家でありたい

NHKの『達人達』という番組。撮りためていた録画の中から、草間彌生と松本幸四郎の対談を見た。

草間彌生の言葉の連なり

草間彌生は88歳。毎日絵を描き続けて、早いと一日一枚の絵を描くらしい。

精力的、という言い方よりも「情熱的」が合う人だと感じた。これは、草間彌生の平和への願いや人類愛につながるのかなと思いながら番組を見ていた。

草間彌生の話し方、文章の立て方はとてもクセがあって、そして本心から言葉が練られているようで、好ましかった。芸術は闘いだと。そして「わたしたち」という主語で話すとき、彼女は世界の中に一人の人間として立っていて、世界に愛を叫び続ける人であるように感じた。

絵を描く姿は、確かに闘っているようでもあったけれど、番組で「愛を叫ぶ」という表現をしていたのが、しっくりと来た。

わたしは芸術家でありたい

わたしも絵が好きだ、建物が好きだ、自然の中に生きるのが好きだ、人間が好きだ、言葉が好きだ。これらの力を信じている。

それもまた芸術だろうと思う。

わたしは画家になるわけでなくとも、芸術家でありたい。

追記 金曜日っていい

金曜の夜は気持ちの余裕があって、何をするにも感じ取るものが多い。疲れていたけれど、眠ってしまわずに洗濯をして、テレビをつけてよかった。