このさびしいままのわたしで。

解決したいのではない。答えが欲しいわけじゃない。何より軽薄に共感されたくない。

そういう感情のひとかたまりを、ここしばらくお腹の中に住まわせてしまっている。そんなだから、世の中に開いた窓に向かって、何も言えない。何も歌えない。

そんな日が二週間続いている。

今日はなかなか寝ない子どもの寝かしつけから起きたら日付が変わっていた。寝室をするりと抜け出て、急いで家事をする。夫も寝かしつけで寝落ちしていた。こういうとき、まあいっかと家事を放棄して寝ることができない。勝手に責任を負っている自分に苛立つ。がさがさした気持ちのまま、食洗機の中身をだし、流しにあった食器をまた食洗機にがしゃがしゃと入れていく。その次は、乾燥機にかけない洗濯物をリビングに干した。湿った空気で居心地が悪く、すぐにエアコンを除湿モードに。四人分の洋服がサーキュレーターにそよそよ揺れる。軽やかになっていく洗濯物とは反対に、どんどん身体が重くなった。もう、すぐにでもベッドに沈んで眠ってしまいたい。

けれど、今のこの書けない自分を変えたくて、中途半端な、なにも面白くないことをそのまま、書いてしまうことにした。

子どもを産むまでは、どれだけ身体が何かに引っ張られようとも、心だけは自由にあれば、好きなときに好きなことができるだろうと思っていた。子育てによる肉体の不自由さが、心まで縛り付けることはできないと。

今はもう、そのときの考えがわたしの現実とは異なっていることに圧倒されて、そしてすっかり道端に膝をついてしまった。風が吹いて落ち葉がひゅるると飛んで行くだろう。

時間がない、と言うと。現実的な時間管理の方法が知りたい、と思われるかもしれないが、断じてそういう意味で言うのではない。

そして、家事がやりたくないならやらなければいい。ということでもない。

仕事をし、家事をし、子育てをする隙間に自分のしたいことも詰め込んで、そうして初めて「個人」に戻ったと感じる自分がさびしいのだ。誰かの部下でなく、妻でなく、母でない時間を渇望する自分が切ない。

本当は、どんな自分でも愛してしまいたいのに。全て望んだことなのに。

この、さびしいわたしとして生きていく勇気を、それでも捨ててしまえない。ぐずだ。書く道を閉ざせない。

それならば、と震えるペンのまま。世の中に開いた窓に向けて手紙を書いて飛ばす。

誰かに届け。

今、さびしい人に、届け。

目を閉じても歌える【軽率に生きる日】

自分と自分のすきな人のことなら、いくらだって文字を連ねてゆけるだろう。

歯車が回ってないのだ。意識せずに呼吸ができるように、意識せずに歩いていけるように、そんなふうに生きられていない。思考がとびとびで、不安と焦りがみぎひだり、と足を前に出して、どうにかこうにか歩いている。

苦しいかというとそうでもない。ただ、静かに風に吹かれて消えてしまいたい気持ちになる。朝の徒歩通勤。誰とも心を交わさずに一日を終えた帰り道。自分はひとりきりだと感じるときには特に。

目を閉じるな、耳をすませ、心を開け。

そうやって生きてきた。なのに今、未来に目を背けたいわたしは、今を生きていない。

自分のぐずぐずさに疲れたので、人の声を聴きたくなった。

そして、聴きたくなっただけなのに、たくさん話した。

心を開こうとせずとも開いてしまい、話そうとせずとも話してしまう場があったのを、思い出した。

特別な議題なんてない。いつものように、話した。元気に話すと元気になる。明るく話すと明るくなる。未来の楽しみについて話すと、今のわたしが楽しくなる。

10年後でもない、1年後でもない。たった1ヶ月。少しだけ先の未来が見えて、心がぎゅっと満たされる。

ふふ、と笑う声。ふわっと話す声。イヤフォンを通って耳に入ってくる音も愛しかった。

また少し、生き返った。

ここは、わたしの好きなあの人たちは、海に似ている。

祝福の日、そして【軽率に生きる日】

わたし自身の家族の話だけで言えば、「家族」は歪で苦しい箱であった。

「この家はHomeでなくHouseだ」と、高校2年生の頃の日記に書いてある。その箱の中ではわたしは多くの役割を担っていた。おどけるのも、優等生に徹するのも、失敗をするのも全てわたしだった。クリスマスケーキを喜ぶのもわたしだけだった。母の日に、母に贈り物をできるのもわたしだけだった。その役目を勝手に背負い込んで。

毎晩、その日のニュースをふたりきりの食卓で母に伝える。そして反応を見ていた。どの話題が正解か?どれが間違いか?母は笑うこともあった。機嫌を悪くすることもあった。互いに探り合っていたように思う。互いに愛されたがっていたように思う。

こういうと、生い立ちに苦しみしかなかったみたいだ。でも違う。楽しいことも嬉しいことも、愛されていると感じたこともたくさんあった。だからこそ怖かった。わたしは生まれたときからわたしなのに、愛されるわたしと愛されないわたしがあることが怖くて悲しくて、本当はわたしは母を怒っていた。もっとわかりやすくわたしを愛してくれ!そうじゃないなら殺してくれ!とこころで叫んでいた。

今、癇癪を起こす双子を前に、「さて、このひとをどう愛せばいいんだろう」と心がどこかに飛んでいってしまうことがある。「もう知らないよ」と簡単に双子の尊厳を傷つけてしまうことがある。母が簡単にわたしと偏差値表を置いて喫茶店を出た日のように。

どんなに後悔していても、過去の出来事を変えることはできない。

けれどわたしは。わたしはせめて謝ろうと決めている。傷つけてしまったら、必ず謝ろうと。これが母から学んだことだ。謝ることができない母の苦しそうな姿から学んだ、わたしにとって一番大事なことだ。

すみませんは言えても、ごめんが言えなかったあのひとは、どんなにか喉がつかえていただろう。どんなにか苦しかっただろう。どんなにか自分の行為に自信を持てなかったことだろう。

だからいつもさびしそうだったんだ。

大人になった。平成25年8月4日。わたしはわたしの家族を持つことを決めた。この人を信じています、と紙に書いて休日の区役所に出向いた。警備員のおじさんが「おめでとうございます」と笑った。建物を出たときの、じりじりする日差しがまぶしかった。結婚記念日だ。家族になった日だ。

母にとってわたしが生まれた日はどんな日だったろうか。そこに父はいたんだろうか。わたしの名前をふたりはどんな風に話し合ったんだろうか。

あの家にいた頃、知らないこと、聞けないことばかりだった。自分がふたりに望まれて生まれたのかわからなかったから。そして家を出た後、親戚の口から(やはり)望まれてなかったと知ってしまったから。(やはり、だ)

望まれてできたわけでないわたしは、それでもちゃあんと望まれて産まれた。祝福された。

それは、写真からわかった。生まれたての頃にはあったかそうなふわふわのおくるみにくるまれていたし、1歳の誕生日にはたくさんの笑顔の人たちに囲まれていたし。いつだって愛されていたと思う。十代のわたしをもはや慰めることはできないけれど。

だからわたしはわたしの子どもに必ず話すだろう。

お腹にいるのが双子だとわかったとき、お父さんは驚いて診察室のイスから立ち上がったこと。

ふたりぶんの羊水と胎盤でずいぶんとお腹が重たかったこと。

何度もお腹の中のあなたが生きているか心配になったこと。

あなたがお腹に来たから、自分の人生の舵を取ろうと決めたこと。

スーパーから歩いて帰る夕方の道すがら、お父さんと一緒にあなたの名前を決めたこと。

帝王切開では手術の途中で麻酔が切れて痛くて寒くて死ぬかと思って泣いたこと。

わたしは。

わたしはあなたに会いたくてたまらなかったことを。

何度でも全力で伝えるから。

お題「記念日」

仙人にもらいし箱【軽率に生きる日】

忘れたくないことがたくさんあって、やっぱりわたしは泣きそうだ。

初めて明確に「忘れたくない」と思ったのは、父に工具箱を買ってもらったときだ。小5だったと思う。

父はなんていうか職種に名前のない仕事をしていて、建築会社から依頼を受けて新居を綺麗にする人だ。綺麗にするというとお掃除のようだけど実は違っていて、家を建てる過程で材木を運ぶときにできた小さな傷を全て綺麗にしていく、そういう仕事をしている。大理石の修理なんかもしてた。気がする。父は多くを語らないので、実はよくわかっていない。なんならわたしは父がどんなふうに暮らしているかも知らない。けれど、週に2日しか顔を合わせなかった14年間であってもやはり共に生きたと思うし、今でも細い糸で繋がっている人だと思う。

忘れたくない。そんな父から工具箱にトンカチやら釘やらネジやらをたくさん買って入れてもらった日。「なくしたらどうしよう」ずっしりと重たい工具箱を抱えて、あまりの嬉しさと重さに途方にくれた。父とわたしの間に初めてはっきりと「なくしてはならない物理的なもの」ができた。父のことを、仙人のようだと母は言った。そうでも思わなければ一週間のうち2日も過ごせなかったのかもしれない。わたしも当時は父を仙人だと思っていたけれど、最近ではただのおじさんなのだと思っている。

仙人からもらった工具箱は、29歳のわたしの家にきちんとあって、探さずともどこにあるかちゃんとわかっていて、もらったときよりもわたしはずっとずっと心の軽い人になった。「なくしたらどうしよう」とはもう思わない。

工具箱はいつ開けても、煙草を吸っていた父のジャンパーの香りがしそうだ。ちょっとだけ、飼っていた黒いラブラドールのサラの匂いも。

仙人は山を下り、サラは17歳で死んだ。両親は離婚し、父は煙草をやめてただのおじさんになった。ただのおじさんは、2月に彼女と共に田舎にでっけー家を建てたそうだ。

幸せがすぎるな。

忘れたりしないとわかりきっていることがたくさんあって、やっぱりわたしは泣きそうだ。

爽やかすぎてどうにも【軽々しい朝】

君たちはどう生きるか、とは言わないけれど、わたしはどう生きようか、については常に考えている。

保育園から会社までの徒歩14分で浮かぶ考えが価値観を基にしている日は、きっと元気な一日になるだろう。

何を大事にしようか?「面白さ」か、「愛」か、「わくわく」か。どんな空気の中で生きようか。

焦っている日には、こんな考えが浮かぶ。

「職種をどうしよう」「お金が足りないのでは?」「自分に特有のスキルなんてないのでは」

これは考えというよりも悩みで、終わりが作れない。こんな日は悪循環に陥るから、頭を空っぽにして寝るのがいいだろう。次の日に、また価値観から人生を形作ることにして。

初めてこうやって文章を早朝に書いている。4時半に目が覚めて、1時間はTwitterを読んでリンクを踏んでふむふむとして、伸びをしてベッドから出た。寝室から出るには勇気がいる。子どもが起きたら自分時間が終わることにがっかりする、という自分にがっかりしてしまうからだ。

ふすまで仕切られた寝室からリビングへ出るとき、子どもは起きなかったけれど猫は起きて足元に絡んできた。朝からでかい方の猫をたくさん抱っこすることもなかなかない。うちに来る生き物はみんなよく抱っこされる子ばかりだ。そう育てたからだろうけれども。

お腹が上向きになるようヒトの赤ちゃんのように抱くと、嬉しそうな顔をしている、と思う。きょとんとした表情というか、目がまん丸になる。気持ちよくなると目をしゅんと閉じる。

生き物の名付けにはその人がでると思う。ペットのね。

うんうん考えて、今の二匹には粉末系の名前をつけた。里親さんから共に我が家にやってきた、黒と白の子猫と、茶トラの子猫。ごましお きなこ とした。きなこは夫がつけたけれど、なんとなく「きーちゃん」と呼んでいる。よく懐いた。名付けが気に入ってることを願う。

子どものヨーグルトにゴマときなこを入れたときの、なんとも言えない気持ち。

散歩に行こうかとも思ったけれど、もし子が起きて寝室にもリビングにもわたしがいないと分かったら泣くだろうと思ってやめた。早朝散歩はもう少し先かな。飲むヨーグルトがうまい。

関東を離れる前に、関東の人と会って話しておきたい。そこのあなた、ピクニックしませんか?海辺でも公園でもいいよ。昔から「ピクニック」がすきで、会社に飽きたときには「ピクニックしたいな」と思うんだけれど、そもそも「ピクニック」の定義ってなんだろう?

わたしが思うピクニックは野外でシートか何かを拡げて、そこに座ってなんらかの食事をして、そしてそれが楽しいこと、をさすけれど。そしてできればひとりより二人か三人がよいけれど。あと晴れてる。

関東を離れたら電車で30分じゃあ会えないけれど、そうだな。移住した後もできることなら、年に何度かは同じ空気の中で会いたい。そう思うひとと何人も出会えてよかったと思う。

夜書くのと朝書くのでこんなに違うのね。夜の自分の文章の方がすきだな、朝の文章はぱきっとして、爽やかすぎるかもしれない。ちょっと恥ずかしい。でも写真にはあうかも。

子が起きる予感。

その前に少しだけひとりを味わう。

アストロノーツ【軽率に生きる日】

どうやらちょっと落ち着きすぎたんじゃないか。

自分の身が重いのだ。ちょっと危険なことくらいなら、と気軽に出歩いていた独身の時期に比べて、自分が重たい。結婚や子どもの存在が、わたしの足首に絡んで離してくれない、とさえ思ったことも。すぐにかき消したけれど。

そういうことを思う夜だから、独身の自分を想像してみる。

独身、恋人なし、子どもなし、の29歳の自分。どうなっているだろう?

まず、恋人がいないというのは、さびしがり屋だからありえない。とも思うけれど、若かりし時期のさみしさが、歳をとって気軽さ身軽さにすっかり変貌して、わたしを明るくしていたら?それはとても面白いだろう。

独身だったら、今のわたしのように関東にいるだろうか?

独身だったら、今のわたしのように合わない仕事を続けているだろうか?

独身だったら、今のわたしのように福岡へ移住することを決められただろうか?

独身だったら、今のわたしのように自分の人生を自ら切り拓こうとしただろうか?

今のわたしのように。

今のわたしのように。

想像してみて、やっとこ分かった。

わたしには今のわたししかいないのね。

こんな簡単なことが、想像してみてやっとわかったし、そして想像しただけで簡単にわかったしで、自分の頭ん中に脳みそつまっててよかったー!と思う。

わたしが身軽でないのはわたしが重たいだけで、誰もわたしの足元に絡みついてなどいないし、なんならわたしを愛する人は手を振って無事を祈ってくれるだろう。いや、重たいというのさえ勝手な思い込みな気がしてきた。重たくて動けない方が、ずっと安全でいられるから。

さて、何から手を離そうか。

大事でないもんをぎゅっと握ってる手をそっと開くイメージで。大事かどうか、しっかと目を開いて匂いをかいで、指で撫でて感じよう。すきかな、大事かな、愛してるかな。

家族と自分の人生だけは手放さずに生きたい。手で握ってもいいけど、しっかり糸で結んでおくのもいいね。宇宙飛行士みたいで、ドラマチックだろう?

いっしょに地球が見られるよ。

その愛はゆうパックじゃ伝わらんだろう?【軽率に生きる日】

帰りたい、と思った。

帰ったら大変なことが起きる、とも思う。でも帰りたい。あの空気の中で生きたい。論理でなく感覚だろうと思う。

福岡の話だ。福岡に移住したくて今、思いが巡って行く。

といっても、実家のある福岡県北九州市でなく、できればもっと都心に。母とはほど良い距離でいたいと思う。

先週の金土日で福岡へ帰った。土曜の友人の結婚式は、ただ感動し泣いて笑うばかりだった。その前夜は、実家に泊まったのだけど。

駅まで迎えにきてくれた母。夕飯を楽しく一緒に食べた母。母の夫が帰宅して、ただ楽しく話した。楽しくてがんがんビールを飲み、ぐだぐだに喋る母。シラフのわたしと深夜までただ話したけれど、最終的には虚しさが残った。だっていくら真面目に話したって相手が酔っぱらいじゃ独り言。一人よりさびしい。切り上げようと腰をあげても、なんだか一人にできない気持ちになっていて、あの夜、わたしは何年ぶりかに母と自分の境界線を見失っていたように思う。母はさびしがりやで、負けずにわたしもさびしがりやだ。

翌朝、スピーチを書き上げて、実家のリビングにおりた。

「酔ってたわ〜〜」と朝ごはんを出してくれた母。朝食は、焼きシャケにごはんに具沢山のお味噌汁、作りたての茶碗蒸しにわたしが土産に買ってきた漬物と納豆も。母だった。酔っ払いじゃなかった。それだけでわたしは実家の朝がすきだ。これこそが真実だと信じたくなるけれど、昨晩から全てが真実だ。

この時点でわたしは自分が本当に福岡に住みたいかわからなくなっていた。こういう母と、車で二時間かからない距離に住むことはどういう意味なのか?母が何かするということはなくて、どちらかというと、わたし自身の土台がぐらつく気がしていた。離れていたからこそ互いに幸せだったのか?そう思う朝だった。

気持ちを、博多に向かう新幹線の中で切り替えた。自分には大役があることを思い出した。

着付けをした。薄緑の着物は身を守るようにしっかりと巻きつけられて、ぎゅう、とお腹がしまる。慌ただしく着付とヘアセットが終わって、荷物を置いてタクシーに飛び乗った。空が晴れていて、タクシーのおじちゃんは客が女だと言うだけでただただ失礼で、ここが福岡だと思い出す。

参列者の中で、一番乗りに待合室に入った。続々と友人がやってきて、せかせかと贈り物のアルバムを作る。恒例行事だ。散り散りになった友人らで事前に示し合わせて、式の当日に急いでそれぞれのメッセージと写真を合体させる作業。重厚な木製のテーブルに散らばる写真とシールとハサミとペンと。人が空気を作るし、空気が場所を作るし、場所がわたしの心を湿らせていく。スピーチの文面を書き直したわけでもないのに、封筒の中の一枚の紙が少しずつしっかりと重たくなってきた。これは必要な重さだ。

時間だ。教会に呼びいれられ、そして滞りなく式が進む。新婦の入場する姿は泣きながら写真を撮った。着物なのに首から一眼レフとデジカメをさげてバシバシ写真を撮る。しゃがみ、カメラと共に傾き、ただ撮った。そして泣いた。泣くわたしを見た友人が泣き、泣くわたしを見た新婦の母が笑う。泣きながらただシャッターを切った。この空気ごと全部全部、絵になれと思う。

披露宴。席に着くと、席札にメッセージがあった。ちくりとする。お祝いの言葉をこれから贈る相手からの言葉。8年間をすぐそばで生きた友だちとはいえ、自分の作ったスピーチには自信がなかった。そもそも、好きすぎてよく相手のことを言葉にできなくて、もどかしさが募るスピーチを書いていた。

席札の裏のメッセージを開いて、読んで、笑った。

なんだ、一緒じゃないかと、涙が出てくる。わたしがスピーチに書いたことがそのまま書いてある。こんなに気持ちが重なるもんかな。面白いな。なんだ、わたしのスピーチ、花丸もんだな。

披露宴が終わった。スピーチではびしゃびしゃに泣いた。前半は多少ウケてて良かった。後半のわたしの友だちへの愛も伝わっただろう。

披露宴の最中、友だちの母に話しかけられた。

「あんた、(福岡に)帰ってくるらしいね!」

「そうなんよ!だって埼玉にいたら○○に会えんからね!」

自分の返答にくらくらする。

着付けてもらったお店で着物を脱ぐためにタクシーに乗る。通り過ぎていく街。光が流れていく。福岡に帰りたかった理由。帰る理由がもう、揺るぎなくここにある。

わたしはただ友だちのそばでまた生きたかったんだった。あの人と、会おうと思ったら気軽に軽率に会える場に暮らしたかった。ただそれだけだった。

わたしはいい大人で、社会人で、夫の妻で、子どもたちの母で。でも全然、それだけじゃ全然足りなくて、わたしは友だちのそばにいたくて、同じ空気を吸いたかった。同じ土をふみたかった。こんな自分がとても無責任に思えて仕方ない。でも、これでいいと思ってる。

遠距離で愛を飛ばすなんてできないんだ。わたしには。

近距離で愛を手渡しする人として生きるんだ。

さみしさをつまんで、くちにいれる【軽率に生きる日】

人を好きになるって、なんだ。と思う。

偶然、ほんとうに偶然になんとまあ異性と結婚した自分だけれど、過去の地続きとしての自分と分断される気持ちが、なかったとは言えない。

夫と結婚する際に、その喜びの端っこで「わたしの性的マイノリティとしてのアイデンティティはどこいくんだ」と恐怖していた。非常にわかりやすい自分へのレッテルを失うことへの恐怖。これはおそらく学歴や肩書きや役割にも置き換えられるものだろう。わたしの場合は「ほぼほぼレズビアン」として生きてきた学生時代の自分と別れる場面のように見えて仕方なかった。

「普通のひとになっちまう」

高校生の頃、図書館で同性間のパートナーシップについて書かれた本を端から引っこ抜いた当時の自意識が、「異性と結婚します!」という事実のもとで完全にうずくまっていた。というより、うなだれていた。

なぜ男性なんだろう。なぜ男性を好きになってしまったんだろう。生物学的に女である自分がそう思うことも自分から見ておかしみがあったのだけれど、自分の思う自分が映し出された鏡の前で、現実の自分が立ち尽くしていた。

立ち尽くしたまま「おかしいな」「あれれ」と思う間に子(ら)ができた。

わたしは自分自身が子育てに向かないだろうと常々思ってきたのだけど、夫は子どもが欲しい人で、そして自分はなぜか結婚の前後で「夫の遺伝子と自分の遺伝子が混ざったら面白かろう」と納得してしまった。遺伝子というより、人生かもしれない。夫とわたしが育てた、ふたりの人生の混ざった人間が見てみたかった。人間、であることが大事に思えた。

若いのに思ったように妊娠しなかったので特別養子縁組でもしようかと調べ始めた頃に子ができ、お腹が大きくなった。

あるとき、夜になりそうな空気の中で夫と歩いて家に向かっていた。我々は普段から手を繋いで歩く我々であるから、自然に普通に手を繋いで歩いていた。

ふと、言ったことのないことを言ってみたくなった。

「あなたと結婚するにあたって、わたしの同性愛者としてのアイデンティティがぶっ壊れた」

夫は、真面目なわたしの顔を見て年に何度かの大笑いをした。涙も出ていた。

「同性愛者であることって、アイデンティティだったんだ!」と笑った。ひーひー言っている。

ちょっと待ってちょっと!アイデンティティ大事でしょ?大事だよね?自分が自分でなくなる気がしたんだよ!だってそもそもなんでこんな男性らしい男性を好きになるんだ自分!っていう自分の崩壊が起きてるわけで!なにがそんなに笑えるの!?と抗議したけれど、

「あー面白かった」と言う。そして

「アイデンティティ、今は大丈夫?」と涙目で言う。

「大丈夫に決まってんだろ!」とやさぐれて答えた。

そして、ああ自分って大丈夫なんだ、と気付いた。

わたしがわたしらしさについて思うとき、一番に性嗜好や性自認についての考えが浮かぶ。

けれどこの出来事は、「大丈夫に決まってんだろ」な自分は、考えや論理でなく、感じたままの自分だった。いやあるいは、半歩先の未来の自分だった。

いやだな、と思う。

人とともに生きるせいで、勝手に自分が生きていってしまう。自分の勝手に定めていた範囲から軽々と出て行ってしまう出来事があるから。だから人と生きることをやめられない。

自分が自分でいることが尊くて軽々しくて泣きそうだ。

いやだな、だって少しさみしい。自分が自分でしかないことは少しさみしい。冬の朝のようなさみしさがある。

そのさみしさを毎日ひとつつまんでは、ちょこっとずつ飲み込んで歩いていく。あんがい、まずくはないんだよ、全然。

そういうことを、今日、今夜、思う。

お題:なし

もう帰ってくるなよ!【軽率に生きる日】

お題:たい焼き

人間には2種類の人間がいるんだってね。たい焼きを頭からいくやつと、しっぽからいくやつと。

まず言いたいけど、生き物を頭からがぶっといくというのは、人としてどうだろうね?あんこが詰まっててうまいとかいろんな理由があるだろうけれど、だからって許されるだろうか?たい焼き屋の店主は「まいど!」と言いながら毎度毎度、実は心で泣いてるんじゃないか?(あの客、今日もおれの子を頭から…ちくしょう!!!!)

かといって、しっぽからいくやつも信用ならない。どうせがぶっといくなら、生殺しのようにしっぽから少しずつなんてのは、鬼畜の所業。しっぽに始まり頭を食べ終えることを想像すると、まるでハンニバルのレクター博士のようで末恐ろしい。そしてこういうタイプはしっぽのカリカリを楽しんでいる。だから頭からいくやつよりも食べるのが遅い。ちいさなひとくちでカリカリをたくさん味わっているからだ。

わたしがたい焼きなら、頭からいってくれ。と心から願うね。店主は育ての親だ。喧嘩もたくさんしたが、涙もろい親父だから、できることならおれを食うのは店を出てからにしてくれ。あの人を泣かせたくない。泣きながらまた、たい焼きを焼く姿はもう、見たくない。

わたしはしっぽからいくタイプだけど、やっぱり自分がたい焼きなら頭からいってほしい。意識や自我を早めに失っていたい。痛覚も、自分が食べられるという事実からも早く解放されたい。

ちょっとリアルに考えすぎて怖くなった。

どこかにいるんじゃないかな?たい焼きを毎日買っては、こっそり海に逃してるひと。「もう帰ってくるなよ!」って。ボチャン!って。茶色い紙袋から出したふにゃふにゃのたい焼きを、港から海へ投げ込むの。およげたいやきくん。およげおよげ。彼は紙袋をくしゃくしゃにして泣いているだろうね。

パートナーとたい焼きを共有するなら、わたしは自分がしっぽのカリカリが好きだからこそ、それを相手にあげるのだと思っていた。しかし今、わたしは割ったたい焼きの前後のうち、夫に堂々と頭側を渡す。夫も当たり前のように受け取って食べる。そういうわたしたちの中で、図らずもふたりになったたいやきくんたちが、もう片側を求めて胃袋を泳ぎ始めていたら、楽しいな。

泳げ泳げ。

お題:たい焼き

発酵してた【軽率に生きる日】

大学生の頃いた熊本は、カフェやお店で働く女の子が可愛かった。顔の話だ。

例にもれず、学部が同じ女の子でそれはまあ可愛い女の子がいた。100人がその子を見たら98人は可愛いと言うだろう(2人くらいは目が悪い)。そんな彼女は、お人形のような目と透き通る白い肌で、はっきりと熊本弁を喋るのだけど、笑っちゃうほど性格が「サバサバ」していた。

昨今、自称サバサバ女子が流行らないことは言うまでもないが、自称なんていうレベルではない。周囲の人の悩みや逡巡を文字通りばっさりやる人であった。「片思いとか無駄!無駄だよ!」と初めての恋心にもじもじする子に時間の無駄やで!と言うタイプであり、特に「無駄のなさ」を大事にする人だったように思う。

そんな彼女を「顔はかわいいが付き合ったら大変そうだ」と勝手に値踏みしていたのだけど、一度だけ彼女にグっときたことがある。

おにぎりの話題になったときのことだ。

何人かでお昼ご飯を食べていたときに、ある子から「おにぎりはラップで包んで握るものか、素手で握るものか」という問いが話題にのぼった。

わたしはラップ派だ。わたしの手が直接白米を握って問題ないほどきれいな気がしないのだ。というのも、こんなところで表明するのは気がひけるが、わたしは多くの日本人がやってるらしい習慣のひとつである、帰宅時のうがい手洗いをしない人間だ。なぜと言われるとどうしようもないが、しないのだ。生まれてこのかた、習慣としてうがい手洗いをしたことがない。そんな自分の手で握ったおにぎり。いやもちろん握る前には手くらい洗うけど。それでも作って5分以内ならセーフ、それを過ぎたらアウトな気がする。消費期限が短め。鮮度が重要。やっぱりラップの勝利だろう。

各々意見を述べる中、最後に例の可愛い彼女が発言する。無駄のなさを求める彼女が、手が汚れるのを気にしないなんてことは当然ありえない。

たかを括っていたわたしだが彼女はこう言った。

「手で握るでしょ?お母さんが手で握ったおにぎりが一番美味しいもん」

えっ。

なにこの胸きゅん。えっ。効率重視、無駄のなさ重視なくせにお母さんの手で握ったおにぎりが一番すきなの?まじ?汚れるのがお母さんの手ならいいの?えっかわいい。えっ。

わたしの中の具沢山おにぎりが坂道を転げ落ちた瞬間であった。

その後彼女が「菌だよね、発酵してるっていうし」と発言したところで理学部的思考を感じ、彼女への胸きゅんで転げ落ちたおにぎりは見事に池に落ちた。

そしたら急に池の真ん中から女神が現れてだね…ってほど深い話にはならなかった、大学2年生の夏。

お題:坂道